キリスト教は戦争を肯定しているのか、平和主義なのか
私自身クリスチャンであり、また、国際政治や安全保障に興味があります。そんな私の大好きなトピックが合体した、私にとっては1冊で2度おいしい(?)本です(^ω^)
冗談はさておき、本書は、タイトルのとおり、キリスト教と戦争との関係について述べている本です。現代日本のキリスト教界では、戦争を一切否定する平和主義こそが聖書の精神であるというような主張が前面に出されています。しかし、筆者は本書において、歴史的にキリスト教と戦争の関係はそう簡単なものではなく、戦争を肯定するものも含め、様々な見方がされてきたのだ、と主張しています。
確かに、聖書には一切の暴力を否定するように読める箇所がいくつも存在します。例えば、有名な、「右の頬を打たれたら左の頬も差し出しなさい」というくだりや、「平和をつくるものは幸いです」などの記述があり、これらの記述などが、現在の日本における大多数のキリスト教的な平和運動の思想的根拠になっているように見えます。
しかしながら、本書によれば、多くのキリスト教徒たちは、ごく初期のころから何らかの形で戦争なり武力を用いた争いを認めてきた、と指摘しています。ローマ・カトリック教会は公式に武力を用いた正当防衛を認めていますし、宗教改革で有名なルターも、より不正なものを罰し、平和を維持するための争いを正当化しています。
そういう意味で、現在、日本のキリスト教界で多く見られるいわゆる平和主義も、決してキリスト教徒の間でのコンセンサスではなく、むしろ少数的な一解釈でしかない、ということのようです。
確かに現在ではキリスト教徒と言えば、いわゆる平和主義というイメージが強いかもしれません。(もちろん、過去には十字軍のような好戦的なキリスト教徒の逸話もありますが…)
しかし、戦争に関して、これがキリスト教の考えである、という一致した見解はない、というのが現状のようです。本書は、キリスト教と戦争に関して、より奥深い議論を提供してくれる好著だと思います。
キリスト教と戦争 (中公新書)
石川 明人

夫

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