バルザックが19世紀パリを描く「ゴプセック」と「毬打つ猫の店」の短編小説二本立て
ゴプセック
バルザックの小説の面白さは、130もあるという作品の中で登場人物が再登場するというところ。それが、シリーズのように主人公が続編に出てくるのではなく、全く違う人物の物語の中に以前読んだ登場人物や、登場人物の家族が出てくるのです。
それによってパリの社交界で、商人の繋がりの中で、意外な人物同士が交差していたり、気になる登場人物のその後や、場合によっては過去を垣間見ることができる楽しみがあります。
ゴプセックには、「ゴリオ爺さん」にも出てきたゴリオの娘であるレストー夫人、レストー伯爵とその子供、そしてレストー夫人の愛人でレストー家を破滅に追い込んだ色男が再登場します。
「ゴリオ爺さん」では詳しく描写されなかったレストー夫妻の結婚関係、レストー夫人と愛人とのやりとり、二人が高利貸しであるゴプセックにお金の工面しに行く様子などを読むことが出来ます。
あんなにも二人の娘を愛していたのに、無残に見捨てられたゴリオ爺さん。
「ゴプセック」では娘のレストー夫人が主要人物のひとりになり、レストー夫人側の言い分や状況を読むことにより「ゴリオ爺さん」だけでは分からなかった真実が明らかになります。
人生の間違った選択の連続により、自分の財産のみではなく父親ゴリオの財産を食いつぶし、そして夫のレストー伯爵の財産や息子が相続するはずの財産にも手を付けようとするレストー夫人。彼女の悲惨な状況にどっぷりと浸かることができます。
タイトルでもあるもう一人の主要人物、ゴプセックの職業は高利貸し。
当時のフランスはイギリスほど金融が発達しておらず、決済は現金ではなく、手形で払い、手形は発行されてから決済期限が一年後ほどだったそうです。いわゆる現在のクレジットカードと同様の、支払遅延システムです。決済期限が迫った手形を支払えない貴族や商人がいる。彼らから宝石やら装飾品やらを担保として預かり、手形を処理するのがゴプセックの仕事でした。
そんなゴプセックの最後は聖書のヤコブ5章1節〜4節の描写のままでした。
5:1富んでいる人たちよ。よく聞きなさい。あなたがたは、自分の身に降りかかろうとしているわざわいを思って、泣き叫ぶがよい。 5:2あなたがたの富は朽ち果て、着物はむしばまれ、 5:3金銀はさびている。そして、そのさびの毒は、あなたがたの罪を責め、あなたがたの肉を火のように食いつくすであろう。あなたがたは、終りの時にいるのに、なお宝をたくわえている。 5:4見よ、あなたがたが労働者たちに畑の刈入れをさせながら、支払わずにいる賃銀が、叫んでいる。そして、刈入れをした人たちの叫び声が、すでに万軍の主の耳に達している。
ゴプセックの死は、まさにそれです。
屍の隣には、担保として受け取った数えきれないほどの高級品が転がっており、腐ったパテやカビの生えた魚や貝、コーヒーや布類などが所狭しと積み上げられていた様子が描写されています。それ程の富も、ゴプセックを人間に必ず訪れる「死」から救えなかったのです。
ただ、この小説からはゴプセックの状況の悲惨さはあまり伝わらず、淡々と彼の死が語られます。「私生活情景」を読むことにより、筆者オノレ・バルザックが生きたパリを体感させたいとの意図を感じます。
こういうことがあったんだ、と家族団欒のダイニングテーブルで語られるように淡々と書かれた作品です。
毬打つ猫の店:裕福なラシャ織商人の平凡な家庭で起こる結婚を通してのドラマ
この二つ目の短編小説で私が感じたのは二つの結婚の対比です。熱烈な恋から始まった結婚が破滅し、逆にお互いの思い通りではない幕開けをした結婚が、静かな幸福と満足をもたらす様子はまさに対象的です。
本書は、複雑な人間関係を描いています。
- 妹のオーギュスチーヌに恋するも、姉のヴィルジニーと結婚させられるジョセフ・ルバ
- ルバを心から愛しているヴィルジニー
- 芸術家で浪費家のテオドールに恋に落ちるオーギュスチーヌ
話の後半では、最初は悲しみから始まったルバとヴィルジニーの結婚生活が、努力により心の拠り所となる暖かい場所になったのに対し、熱烈な恋であるが身分違いの結婚だったオーギュスチーヌと芸術家のテオドールの不幸な結末が描写されます。
美しいけれど無知で、その健気さが逆に夫の気持ちを逆なでするオーギュスチーヌに対し、姉のヴィルジニーは夫の中に愛が生まれるよう励んだ、とあります
いつの間にか夫はヴィルジニーを敬い慈しむようにしむけられたのだが、幸せが花開くのに要した時間は、ジョセフ・ルバにとっても妻にとっても、長続きするための担保となったのである ―p.214
小説が書かれてから200年以上経った今でも、私達はオーギュスチーヌの失敗とヴィルジニーの努力と忍耐に大いに学ぶことがあると思います。
オーギュスチーヌの失敗からは、
- 美は永遠ではなく、必ず飽きられ、また劣化すること
- 誤りは正されないと人をうんざりさせるということ
- 精神面で不釣り合いな結婚があり、その不釣り合いを縮めるよう努力しないと致命的だということ
また、ヴィルジニーにからは、
- 常に精神面で自分を高めることは、結果的に夫に愛されることにも繋がること
- 自分たち夫婦の「時代」を意識して、それに応じて成長し、変化していくことを努めること
- すぐに結果を求めず、静かに待つべき時もあるのだ
ということを学びました。
ゴプセック 毬打つ猫の店
バルザック
妻の姉
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