30年後にまた読んでみたい本
亡くなった大小説家テッド・ドリッフィールドについて書いてくれと頼まれる主人公。亡きドリッフィールドのことを思い出しながら彼と知り合った16歳の時を回想する主人公も今は60歳ぐらい。これを書いている私は30台中盤ですが、また30年後に読んでどのように感じるか書き留めてみたいと思いました。
16歳の若さあふれる、初々しい無知さを感じ、また60歳の年齢を重ねることから得られる人間観察の結果や、知恵を読みとることが出来ます。
「人は年齢を重ねるにつれ、人間の複雑さ、矛盾、不合理をますます意識するようになるものだ。」―p217
この作品の本当の主役はドリッフィールドでもなく、主人公にドリッフィールドについて書くようにと頼むロイでもなく、ドリッフィールドの最初の妻、ロウジーだと思います。
主人公は浮気者だけど快活でいやらしくなく、不思議な存在であるロウジーを魅力的に描きます。
読み終わって考えたことは、ロウジーは主人公が言うほど、客観的にイイ女だったのか。それともロイやドリッフィールドの二人目の堅実な妻が言うように浮気で下品な娼婦だったのか。
女性として、私は後者に同意せざるを得ないと思います。主人公の夢見るようなロウジーについての記述からも、ところどころロウジーが品がなく、傷ついた心を癒すために色んな男と関係を持っていたことが分かるような箇所が垣間見れます(多くの浮気女がそうであるように)。
美しい黄金の髪の毛と素晴らしい肌を持ちながらも、歯は汚かったところや、髪を掻く変な癖があったこと、極め付けは、ロウジーがドリッフィールドと出会う前から、そして結婚した後もずっと関係を持ち続けていたジョージ殿と駆け落ちしたこと。このまた下品で低俗な男(それは主人公も同意見であるらしい)を最終的には選び、心からイイ男だと信じていたロウジー。それに彼女の本性を見出せる気がします。そんなロウジーでも、20歳の主人公、そしてその他多数のロウジーの愛人にはミロのヴィーナスのような存在だったらしい。その二面性の描写がとても巧みです。
「お菓子とビール」はちょっとした人生の良いもの、という意味だそうです。モームは自分自身の若き日の思い出を回想して、ドリッフィールドとの絶え間ない日々、それを通して開けていった、田舎牧師だった叔父には無縁な人たちとの繋がり、そしてロウジーとのロマンスを懐かしくて楽しい青春の思い出として描いたのではないでしょうか。
お菓子とビール
モーム
妻
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