10代のころに読んでおきたい
**ネタバレ注意**
人生のことがらや人との出会いと同じように、本との出会いにもタイミングというものがあって、そのタイミングが上手く合わないと、良書も本来の目的を失ってインパクトを失くしてしまいます。逆にその本を手に取った日が、本の内容にぴったり合うと、その本は著者の当初の目的以上の効果をもたらしたりするものです。
ラディゲの「肉体の悪魔」を読み終わって、私は「あ、タイミング逃したな」と感じました。10代の時に読みたかった。10代の時に読んでいたら今とは感じかたが全く違った。10代の恋愛真っ盛り、恋愛こそが人生と思っていたときに出会っていたら・・・
ヘミングウェイの「日はまた登る」も同じ感覚を覚えた本でした。これは30代前半に読みました。若者が朝から酒飲んで騒いで、恋愛して、享楽的に過ごして、何が楽しいんだと無感動で終わったのですが、20代前半、大学を卒業する直前にこの本を読んだという友人は、この本はとても大好き!共感できる!と言っていました。30代前半は私は小さい子供達がいてあたふたの毎日だったので、それを聞いて、読むタイミングが悪かったんだな、と思いました。良い本でも、その魔力の効果がある期間を逃してしまったんだな、と。
「肉体の悪魔」の14歳の主人公は19歳の人妻のマルトと恋に落ちます。家族、学校、通常の生活の全てを捨て、彼女との生活に身を投じます。そんな主人公の愛し方はひどく自己中心的で破滅的。初恋がしばしばそうであるように、主人公が思う「愛」は自分の欲望、満たされなさ、不満を埋めるためのものでした。思ってもいないのにありえない要求をしたり、わざと試すようなことを言ってみたり、傷つけたり。その様子を読むのは、結構苦痛でした。
嘘つきめ!僕は若さというものにとても敏感だったから、マルトの若さがしおれて、僕の若さが花開くとき、自分がマルトから離れるところを想像しないわけにはいかなかった。―P85
利己的な少年の恋愛ごっこ。犠牲を伴うことを理解していないで未熟さ。
きっと、10代の私が読んでいたら、自分が感じて、でも自身の言葉に出来なかったことを、全てを削ぎ落としたような簡潔な言葉で描写してくれたラディゲに感謝しただろうと思います。でも、30代半ば、結婚生活も10年を越し、子供もいて、という現在の状況の私は反発を覚えながら読んでしまいました。「違う、こんなの愛じゃない。勘違いしてる」って。
「肉体の悪魔」はフランス、20世紀初頭の作家、レーモン・ラディゲの処女作でした。わずか20歳で腸チフスでなくなってしまうラディゲ。ということは本書は彼が10代のころに書かれたということになります。
ラディゲの初恋を元に書かれたとされ、「最も真実らしく見える偽りの自伝」(p223)と本人も言っています。現に、ラディゲは本書の主人公と同じぐらいの年の時にアリスという10歳年上の女性に恋をします。でも、主人公が恋に全てをかけ、その他全てを捨てて落下していったのと対照的に、ラディゲ自身はまだ若いにも関わらずジャーナリズムの世界で活躍し、様々なその当時の有名作家(コクトーなど)と交際がありました。アリスは仕事の二の次にされ、約束をすっぽかされてよく泣いていたのを目撃されたそう。その違いから見て、ラディゲは自分がアリスへのこの恋に全身全霊を注いで、その他全てを捨てたら、と想像しながら書き進めていったのではないでしょうか。
反発を覚えながら読んだ、と書きましたが、最後の結末に私は鳥肌が立ってしまいました。これを10代の時に書いたラディゲは、本当に天才だったのかも、と思いました。次はラディゲのもう一つの著作、「ドルジェル伯の舞踏会」も読みたいです。
肉体の悪魔
ラディゲ
妻の姉
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