現実的なヒロイン像であるキャサリンと、良い教師ヘンリー
19世紀の作家、ジェーン・オースティンの初期の作品であるこの物語は、主人公、キャサリン・モーランドがどれだけ典型的なヒロイン像から外れているかの説明から始まります。
キャサリンには特に突起するような美点はありません。美人でもないし、器量良しでもない。刺繍が上手なわけでもなく、絵なんて救いようのないぐらいへたくそ。
ただ、夢見るように小説が好きで、特に18世紀後半に人気があったゴシック小説を好み、大きくなるにつれて「美人とは言えなくないまでもない」ぐらいに成長する、との記述があります。
そんなヒロイン像は、世間で言うドラマ性には欠けるかもしれません。しかし、いわゆる「普通」を主人公にするオースティンの作家としての力量、鋭い人間観察力、現実的な世界観に感動させられます。
だって、殆どの私たちは、物語のプリンセスのような容貌でも境遇でもないんだもの。でも静かに見える日常生活にこそ人間のドラマが溢れている、それを楽しみ、そこから学び、成長していく、という構造に誠意が見られます。
ヘンリーは、キャサリンが間違った道に進みそうになるのを優しい助言により助けます。譴責した後は、相手を辱めないために二度とその話題を持ち出さない
ヘンリーは、ナイーブで社会経験のないキャサリンの性格的な美徳を見つけ、それを伸ばす手助けをします。その美徳とは、例えば他人の言ったことをその言葉のまま、受け入れるということ。
キャサリンの親友と称するイザベラが、「あなたは私の親友よ」と言えば、イザベラの行動が言動に伴っていなくても、それをそのまま信じて疑わない。
それはナイーブさでもあり、経験を積み重ねるにつれて研ぎ澄まされていかなくてはいけないものではあるけれど、キャサリンの純情さは美徳でもあります。
何かを言う時にそれを言葉通りにとらず、聞き手の想像や悪意で、歪んだ捉え方をしてしまう人が多い中で、キャサリンのそれはヘンリーにとって、とても魅力的に映ったのだと思います。
「ノーサンガー・アベイ」は真のプリンセスストーリーだと言えます。容姿や社会的地位ではなく、キャサリンの内面的要素に美徳を見出して、まるでお姫様のように扱ってくれるヘンリー。なんて男らしく、紳士なのだろうと感動しました。
ノーサンガー・アベイ
ジェーン・オースティン
妻
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